ブスなのにモテ女!岡本太郎の母・かの子のトンデモ恋愛遍歴

 by 海猫

今年は岡本太郎の生誕100周年ということで、彼が何かと話題に上ることが多いですね。しかし、岡本太郎の母親はとんでもない恋愛遍歴を持っていることはあまり知られていません。

夫公認で彼氏と同居する『一妻多夫』など、愛が爆発していたエピソードをご紹介いたします。

ブサイク女子がモテモテになる人生

今年は芸術家・岡本太郎が誕生して100年になります。
死後15年が経った今でも衰えることのない人気を誇る、この偉大な芸術家を産んだ母親が、かなりの恋愛体質だったのをごぞんじでしょうか?

彼女の、まさに“爆発していた”恋愛遍歴をご紹介いたしましょう。

岡本太郎の母、岡本かの子は1889年(明治23年)、裕福な家庭に生まれました。

少女の時に恋心を抱いた男性からは「ブサイク」と評され、かの子がアプローチをしても避け続けられていたそうです。
このことに代表されるように、かの子の見た目は美しいとは言えません。常におしろいをタップリ塗った厚化粧で、体型は今で言うポッチャリさんでした。

しかし、彼女のその後の人生は、数多くの男たちによって彩られるのです。
当時の女友達もそれが不思議で妬ましかったらしく、集まった時に「なぜかの子はブサイクなのにあんなにモテるのか」と話し合ったそうです。

女学校を卒業後、かの子はある文学青年と駆け落ちをしますが、すぐに別れることとなります。
それが原因か精神を病み、長野で療養をしていたところ、漫画家の岡本一平と知り合い、ふたりは結婚しました。この時かの子は21歳でした。

夫が認めた『一妻多夫』の奇妙な生活

しかし、それは幸せな結婚ではありませんでした。

人気漫画家の一平は稼いだお金を酒と女につぎ込んでしまいます。
家に帰って来ない夫、生まれたばかりの子(太郎)の育児、兄と母の死などの心労が重なり、またもやかの子は精神を患い、自殺未遂をしてしまいます。

このことに大きな責任を感じた一平は、それ以来一切の性交渉を経ち(かの子も含む)、かの子のために生きることを誓います。

このまま一平とかの子がお互いだけを見つめた夫婦生活を行っていれば、それはごく普通の家庭を築いていくことになったでしょう。

しかし、かの子は一平と結婚をしたままで、堀切と言う若い男性と恋に落ちます。
堀切と一緒にいたいと願うかの子に一平が下した決断は、堀切も同じ家に住まわせる、と言う『一妻多夫』を容認するものでした。
こうして夫と妻と妻の彼氏プラス子どもと言う奇妙な同居生活が始まります。
ですが長くは続かず、この生活は堀切が家を去ると言う結果に終わります。

その後一平家族はかの子が40歳の時にヨーロッパへ旅をします。
この時、かの子の恋人だったと言われる若い男性が2人(!)この旅行に同行したのです。

かの子は49歳で亡くなりましたが、その原因となった脳充血で倒れた時も、旅館に若い男性(今までの人たちとは別人)と一緒にいた、と言われています。

かの子がこんなにモテたのはなぜ?

一平はなぜ、度重なるかの子の若い男性との恋愛を許したのでしょうか?
また、若い男達はなぜ年上で、美しいとは形容できないかの子にこんなにも惹かれていったのでしょう。

実は、かの子はたぐいまれなる甘え上手だったと言われています。
その甘え方には一切の計算や打算がなく、本能で甘えるというものでした。息子の太郎にもまるで彼氏に接するように甘えていたと言われています。

そのピュアすぎる心が、男性達を惹きつけてやまなかったのでしょう。

精神的にも危ういところがあったので、これ以上の“守ってやりたい女性”はなかなかいなかったのではないでしょうか。

「オレがついていないとこいつは危ないから」
「こんな無茶なことを言う女を愛せるのはオレしかいない」
という気持ちにさせていたのでしょう。

また、ポッチャリ体型にも秘密があったようです。年下の男性達はかの子のその体型にやすらぎを求めていたフシがあります。
現代でもモデルのような痩せ体型よりも、実際に付き合うのであれば肉付きのいい女性の方がいい、と言う男性が私達女性が想像するよりも多いものです。

スマートなモテ人生じゃなくったって…

かの子の人生から学べるモテテクは、決してスマートなものではなく、ひたすらに『愛を爆発させる』というもののようですね。

そんな『愛を爆発させて』いた母の元で育った少年は、のちに芸術を爆発させ日本の近現代を代表する大芸術家になりました。

かの子の影響は多大なるものだったに違いありません。

渋谷駅構内にある岡本太郎の壁画「明日の神話」を見た時にでも、ふと愛に生き、愛に死んでいった彼女のことを思い出してみてください。

きっと、愛に突っ走しって生きる勇気をもらえるはずです!

Written by 海猫